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【現地ホームステイ】首都での1ヶ月ホームステイ体験まとめとそこからわかった”ウズベキスタン”のこと。

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アッサローム・アライクン、YUJI(@wish_yama)です。

すでにわたしは帰国隊員となってしまいましたが、いまでもときどきウズベキスタンや任地フェルガナのことを思い出します。特に最初のホームステイ先のインパクトはかなり強くていまでも鮮明に思い出すことができます。

 

今日は協力隊員が最初の1ヶ月で経験することになる”現地ホームステイ”とそこから学んだウズベキスタンのことを紹介していきます。これはウズベキスタンだけでなく他の任地でも共通する部分があると思うので、任国が違う人もぜひ参考にしてください。

 

▼青年海外協力隊受験を考えている方はこちらの記事をお読みください。

【青年海外協力隊】全部で4回分!面接試験で聞かれた質問とわたしの回答と面接対策をまとめる。【まとめ】 - YUJImediaシーズン2

 

それではどうぞ!

 

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はじめに

青年海外協力隊員として日本での語学訓練を終えたあとは1ヶ月間の現地語学訓練が待ち受けています。実際、日本で学ぶ語学は机上の話であり、真の語学力を身につけるためには生活の中で使っていく必要があるんですね。そうしなければ”テストで合格点の語学力”でしかなく、奥行きのある表現には程遠いわけです。 

 

▼語学力を身につけられるのも協力隊参加のメリットですね。

【青年海外協力隊】途上国2年間を乗り越えたわたしが感じるボランティア参加のメリットとデメリット。 - YUJImediaシーズン2

 

今回の記事ではわたしが経験した現地ホームステイの感想やそのときに感じたことを、過去記事より抜粋してまとめてみました!これからウズベキスタンに長期的に滞在する方は参考にしてくださいね!

 

ホームステイとは?

上述したように日本で言葉を学んだだけでは机上の話にしかならず、たとえそのまま任地に出向いたとしても同僚やカウンターパートと十分なコミュニケーションは取れないでしょう。

 

そのためまずおそらくほとんどの隊員は1ヶ月間、現地で語学訓練を受けながら”ホームステイ”することになります。見ず知らずの日本人を1ヶ月間も住まわせてくれるなんで本当にありがたいことです。

 

このホームステイ体験はなかなか衝撃的です。 

 

それもそのはずで日本で動画や写真でみてきた任国とイメージが違う……なんてこともしばしば。わたしの場合はあまり先入観を持たないようにしていたので、イメージの崩壊よりもただただカルチャーショックを受けていたような気がします。

 

これから過去記事で紹介した文章を一部引用し、そのときのレビューとともに紹介していきますね。テーマは以下の順です。

 

異文化体験:最初のカルチャーショックは生涯忘れられないだろう。

友人:同い年の友人は才色兼備という言葉がよく似合う現地医師。

結婚式:普段喧騒の少ないウズベキスタンだけど結婚式はド派手。

公用語:ホームステイで「日本語を教えて」と頼まれたら。

 

なかには日記レベルやメモ書きもあるので、

「こんなことを感じながら生活していたんだ……」

と生暖かい目でみていただけると感無量です。

 

やや過激な表現も含まれますのでご注意くださいませ。

 

それでは続きをお読みください。

 

第一話、異文化体験:最初のカルチャーショックは生涯忘れられないだろう。

ウズベキスタンに入国後1ヶ月の現地語学訓練がある。3月23日に入国し、ウズベキスタンホテルに宿泊して各種オリエンテーションを行う。会場は地下鉄ボドムゾール駅から5分のビジネスセンター。 

そして3月30日から、現地語学訓練と平行してホームステイがはじまる。3人のJOCVがそれぞれ違うところに住むことになる。

 

私は現地語学訓練を行うビジネスセンターから歩いて30分程度に位置するステイ先だ。


2人家族と聞いていたが、毎日来客が多く、なかなか落ち着けない。

しかし語学訓練でならった表現を、その日のうちに使える良い練習になっていおり、またウズベキスタン特有の食文化や挨拶を間近で感じることができる。


これから約1ヶ月間不安と期待を抱えながら恋焦がれたウズベク人と一緒に暮らし、どんな新しい自分に出会えるだろうか。

 

ウズベキスタンに入国してホームステイ先にはいった直後ですね。

 

このときはウズベク語もよくわからず正直現地の文化もいまいちわからない、そんな状態でした。 我々、同期隊員3名はそれぞれ違うホームステイ先で生活することとなります。ステイ先にによって生活レベルが違うのでどこに当たるかは運次第ですねぇ。

 

ちなみにSV(シニア・ボランティア)はホームステイを経験しません。理由はホームステイをすると体調を崩すことが多く、まだ若いJV(ジュニア・ボランティア)なら1ヶ月間であれば乗り切れるものの、シニアさんたちにとってはやや厳しいのかなと……

 

ちなみにわたしがいたホームステイ先はかなりの富裕家庭で、日本に関心の強いホストファミリーたちでした。彼らはスマホや最新PCを使いこなし、英語・ロシア語・果ては日本語も堪能です。それぞれの言語を活用してウズベク語の習得に努めました。

 

第二話、友人:同い年の友人は才色兼備という言葉がよく似合う現地医師。

彼の名はハフリヨル。


活動先のフェルガナ州から程近いナマンガンで医師をしているらしい。同い年だが何事にも頭の回転が早く、外で遊ぼうとサッカーをしようと誘いボールを渡せばプロ並みの技を見せてくれる。運動神経が格別に良い。


困ったことがあれば何でも相談してくれよ!!」満面の笑みで言ってくれた。

 

右も左もわからない場所で医療のことを相談できる現地人がいるのはとても心強い。

けど、彼が話すのはほとんどロシア語だ

 

ホームステイ先に遊びにきた青年と仲良くなりました。

 

家系図的に考えるとホストのいとこさんになるのかな?なんでも居住地がナマンガンという地域で、わたしが配属される予定のフェルガナから車で1時間くらいの場所に住んでいるのです。また年齢も近く、そんな背景からすぐに打ち解け、一緒にサッカーなどをして遊びました。

 

しかし問題は、彼の話す言語はロシア語オンリーだったことでしょうか。

 

ウズベク語を勉強するためにホームステイしているのに、まさかロシア語しか話せないなんて……どの家庭で育てられるかによってウズベク語を主言語とするのか、ロシア語を主言語とするのか変わってくるようです。

 

そしてこのときはロシア語を一切話せなかったので、適当に相槌売ってました。

 

ごめんハフリヨルくん。

 

第三話、結婚式:普段喧騒の少ないウズベキスタンだけど結婚式はド派手。

お世話になっているステイ先ホストの兄が結婚式を挙げるので、招待状をもらい式典に参加してきた。初めて参加するウズベキスタンの結婚式はどんなものだろうか……期待に胸を膨らませ会場へ向かう。会場はとても大きく華やかで、宮殿かと見間違うほどだ。パフォーマンスや来場者を軽く見積もって300人はいただろう。

続きは以下よりお読みください。 

ホームステイ先の家族はとても穏やかな人たちで、そしてとてもハイスペック。兄は大手銀行員、兄妹は医師、母も今は退職したが元医師、そして娘たちは医学生と、なにかに導かれたように高いスペックを持っている。

ウズベキスタンでは結婚式などの式典に参加するため招待状が必要だ。これは直接本人から手渡しを受けるほか方法がないらしい。兄も招待状を渡すため、式準備期間はあらゆる方面へ駆け回っていた。わたしもそれに便乗し色々なところにメフモンへ同行させてもらった。 


18:00~会場

18:30~開演

  

 (入場直後の様子)

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入場したのは18:10、開演20分前だ。それにしても豪華な設営だ、どこそこの有名人級ではないだろうか。しかし会場設営や運営の数人以外誰もいない。これから集まってくるのかな......いやしかし、開始30分前なのに来客がいないとは......

こんなルーズな感じでいいのだろうか?半ば不安に煽られながらも、定時には式が開始される。

 

(コース料理のメニュー表)

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(テーブル席)

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食事はコース式だが、、野菜、......とにかく肉が多い!鶏がらベースのスープや、果物も順次出てきて少し安心。そのまま、ウズベク伝統的舞踊の披露、そして楽器の演奏ととにかくゴージャス。


ある一人が壇上に上がり歌をたいだす。

 

ステイ先の妹に「あの人は誰?」と聞くと、

 

「ウズベキスタンで一番有名な歌手よ!」

 

 ??!

 

そんな人を呼べるなんて、どれだけ広い交友関係!?と驚かずにはいられない。
その後、4人が壇上に上がったが、どの人もテレビで見ない日は無いほど有名な歌手らしい。

 

そして来場者全員が音楽に合わせてとにかく踊りまくる!!!訓練所で講師から「ウズベク人は踊るのが大好き」と聞いていたが、スタンディングでとにかく踊りまくる!!数少ない日本人招待客の一人として、ダンスバトル(?)に挑み、辛くも大勝。 

会場ではステイ中顔見知りになったウズべク人の友人と再会し、とても楽しい時間を過ごせた。

 

~22:00

 

終了し、ホテルへ帰宅。

 

なお日本のご祝儀のような習慣もある。

 

相場は日本円で2,000~3,000円だそうで、招待状を受け取ったJOCV3人で60ドルを熨斗袋に入れ式中に手渡す。あえて”スム”ではなく”$”で渡した理由は、紙幣の価値の問題。60$で1mm程度の薄さとすると、スムは10cm位の高さになってしまうからだ。 

ウズベキスタンに旅行した日本人は、数日間は大金持ちになった気分になる、というのはよく聞く話である。

ポテンシャルが高いといわれるウズベク人の、その片鱗を見た気がする。

 

ステイ先の兄が結婚することになったので、同じステイ先だった先輩隊員たちとその結婚式に参加して来ました。

 

このときウズベキスタンでの初めての結婚式参列だったのですが、その規模の大きさにド肝を抜かれたのを覚えています……日本での一般的な結婚式が会場収容100~150人だとするとその倍以上の人数を収容できるだけの広さがありました。

 

また有名歌手なんかも来ていて

「これがウズベキスタンの一般的な結婚式なのか……」

と驚きました。

 

しかしのちのちわかることなんですがわたしのステイ先はかなりお金を持っている家庭だったので、結婚式も盛大に行なったそうですよ。後にも先にも、この結婚式を超える規模のものには出会いませんでしたねぇ。

 

でもまぁ総じて、

ウズベキスタンの結婚式は派手です。

 

第四話、公用語:ホームステイで「日本語を教えて」と頼まれたら。

ウズベキスタンの公用語はウズベク語である。旧ソ連の影響が深く残っているため90%以上の現地人がウズベク語だけでなくロシア語も話せる。 またウズベキスタンでは働き口が少なく、十分な高等教育も行われていないため、ロシアへ移住・出稼ぎに行くひとも多い。先日訪問した家庭の小学生の少女は、学校でウズベク語、ロシア語、英語を習っているらしい。

 

私のホームステイ先はいわゆる富裕層でウズベク語・ロシア語はもちろん英語も使いこなす家族だ。ウズベク語でうまく伝えられない部分は英語でフォローしてくれたりもする。また、お兄さんが日本への留学経験があり、日本語も上手に話している。

 

この先2年間で日本語を話す機会はないだろうと思っていた矢先、蓋を開けてみると毎日のように日本語を使っている。拍子抜けというか海外に住みながら日本語を多く話しているのは不思議な感覚だ。

 

アメリカなど欧米諸国の言葉を借りれば、ウズベキスタンは中央アジアにおける”人種のるつぼ”ともいえるほど様々な民族が暮らしている。ひとつの言語だけでは仕事にならないのだろう。

 

自分のことを棚上げするが日本の第二外国語は英語であり、JICA応募の最低基準として英語での日常会話が求められている国もある。日本人には英語が第二外国語という意識は薄いように感じる。

 

実際街に出てみればあらゆるところで英語表記が持ちいられているが、依然として日本人の英語苦手意識は高いようだ。尚私はJICAのTOEIC基準ギリギリのDランクで、もちろん英語の日常会話はできない

 

さてこれからのホームステイや任地での活動を経て、わたしの語学力はどれだけ向上するのだろうか。楽しみである。

 

なにやら2年前のわたしはこのときに語学力向上の決意表明したようです。 

 

思い込みとは不思議なものでひとたび「これを達成したい!」と決意すれば、それに向けて動き出せてしまうんですよね。ここでの経験がその後のロシア留学などにも繋がっているかもしれませんね。

 

▼帰国後にロシアへ留学しました。

【ロシア留学】10歳年下の大学生と寝食をともにし、彼らから教わった人生における3つの教訓。 - YUJImediaシーズン2

 

ホームステイ体験からわかったウズベキスタンのこと。

この1ヶ月間のホームステイ体験からウズベキスタンにかんする様々なことがわかって来ました。まずは様々な言語を使いこなす多言語国家であることです。ステイ先の家族に限らず、ほとんどの国民はウズベク語だけでなくロシア語、若い学生なんかは英語も堪能です。そのほか日本語を使いこなすひともいました。

 

大学で活動するあるシニア・ボランティアが言っていたのですが、

 

「ウズベキスタンにおいては多言語を話せることが生存条件だ。」

 

この表現はかなり正確で、ウズベキスタンにはウズベク人だけでなくロシア人、タジク人、韓国人、中国人など様々な民族が暮らしています。話せる言葉がひとつだけだと日常生活に支障をきたしてしまうんですよね。

 

言葉をたくさん話せたら楽しいというモチベーションではなく”言葉を学ばなければ生き残れない”のかもしれません。

 

そんなことをホームステイ体験から学びました。

 

あと結婚式が派手。

 

今日のまとめ

以上が”首都での1ヶ月ホームステイ体験まとめとそこからわかった”ウズベキスタン”のこと。”でした!
 
現地に密着するはじめての機会ですから、ここでの記憶はその後の活動に大きな影響を与えることは間違いありません。わたしぼホスト・ファミリーはその後くる総会毎のタシケント生活を支えてくれたり、いまでもときどき連絡をとる仲です。
 
ほんとうに素敵な家族に恵まれたと思っています。
 
 
最後までお読み頂きありがとうございました!
これであなたもウズベク人。
 
■更新履歴
2017年10月13日