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ー旅・人生・シゴトの楽しみ方を追及するブログー

【フェルガナ】抑留日本人が眠っている墓地は、ウズベク語がわからなければ辿り着けない

日本では国民の大多数が仏教を信仰し、死者は火葬するのが一般的だろう。ここウズベキスタンはイスラム教を信仰する国民が9割以上を占め、死者を弔うときには火葬ではなくもちろん土葬だ。9月のタシケント上京時に”在ウズベキスタン日本人墓地”を訪問し、70年前にこの地で亡くなった日本人抑留者に追悼の意を伝えに参ったところである。

墓標に刻まれた名前を追っていくと、どうやらフェルガナに抑留されていた日本人もいたようだ。

 

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ここは在フェルガナの町外れにある墓地。タシケントで得た情報では「フェルガナで2名の日本人がなくなっている。」とのことだった。買い物をするために朝からバザールへ行き商店の売り子と世間話をしていたところ、「君は日本人なのか。フェルガナにある日本人墓地へは行ったのか?」と問われた。以前に日本人墓地のようなところをみつけたが墓標がなく、それが事実のものであるか確かめられなかった。今回も同じ場所のことを言われているのだろうか、もしかしたら別の墓地のことを言っているのかもしれないと俄かに期待感を持ちタクシーへと乗り込んだ。

市内中心部から往復で10000スムでタクシーに乗り込み、走らせること10分弱。

ガソリンスタンドの横に位置するのはウズベク・ロシア人墓地。

 

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ここに抑留日本人の眠る墓地があるのだろうか、また身元不明の墓地郡ではないだろうかとよもや不安に煽られながら中へ入ってみる。入ってすぐのところに立っていた”墓守”とでもいうのだろうか、管理者に「私は日本人です。ここに日本人のお墓があると聞いてきました。どこかわかりますか。」と聞いてみる。

すると入ってすぐ左手にある墓石へと案内された。

ーここに日本人の墓があります。

 

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以前に見つけた身元不明の墓地とは違い、墓標があり名前も刻まれている。全部で5基。ひとつずつそこに記された名前を確認していく。

ータカサキ  1912-1948

ータカサワ  1903-1947

ーツドジ…? 1921-1947

ーヨコヤマ  1910-1946

ーサワダシ…?1918-1946

 個人情報にかかわるため(といっても半世紀以上前の人物だが)苗字だけの記載とさせてもらうが、これらは確かに日本の名前だ。いくつか表記を誤っていたが間違いないだろう。しかし5名というのはタシケントで見たものとは違っている。タシケント日本人墓地では「フェルガナ2名」と記されていた。疑問に思い管理者に確認してみたところ興味深い話をきくことができた。

 

ーここに眠る日本人は戦争中にドイツに収容されていました。ドイツからうまく逃げ出した彼らは、ウズベキスタンまでやってきました、そしてここで工場を作っています。この地で結婚してウズベク人と一緒に家庭を築き、彼らは子供をもうけました。この地を開拓してくれた彼らにはとても感謝しています。

 

旧ソ連の抑留者ではなくドイツからの逃亡者、というのが彼の話。もしやと思い、彼らの写真はありますか?ときいたところ「それは残っていません」とのこと。残念だが半世紀以上前になくなっているのであればそれも仕方ないと、埋葬されているであろう日本人に追悼を捧げ、墓地を後にする。

 

帰り際にひとつの疑問が浮かび上がる。彼らがフェルガナに住んでいたのは平均して1915年~1940年ころであり、その間に子供を生んでいるはずだ。ドイツから逃亡時のおよそ年齢は25歳、30歳直前に子供を生むと仮定して1920年ころに生まれた日本人とウズベク人のハーフがいるはずである。この仮定だとその人は現在満95歳を迎えているはずであり存命しているとは考えにくいが、ひょっとすると日系3世のクォーターがフェルガナに住んでいるかもしれない、という推理ができる。

 

しかしそういう現地人がいれば噂になっているはずだし、半年も住んでいれば日本人のわたしになにかしらの情報がはいってもいいはずだ。わたしの推論が正しければ、の話だが……

ウズベク人だけが全ての真相を知っているのだろう。

 

 

もうひとつの墓地とは?

タシケントで目にした「フェルガナ2名」という墓地は一体どこにあるのだろうか。上記の墓地を訪問する2ヶ月ほど前にウズベク人からの口コミでそれを発見した。場所は同じくフェルガナ中心部からタクシーで10分程度に位置する。

 

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ここは先ほどの墓地と比べて、ほぼ荒地のような装いであった。特定の管理者もおらず良くも悪くも途上国的、といったところだろう。どこに抑留日本人が埋葬されている墓標があるのだろうか。参拝している現地人に聞いたところある一箇所を指示される。

  

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そう墓標がない。外面でわかるのは他の部分に比べてかか土が盛り上がっているということのみだった。これはせめてもの目印にとわたしが供えた花だが、本当にここに日本人が眠っているのか確証はない。残りの任期中に確証をもてるようにしたいと思う。

 

 

ウズベキスタンにおける死者の弔い方

これらの話を言語センターの生徒たちにしたところ、想像以上に興味をもってくれた。ー日本では”お骨拾い”といって火葬された骨を家族や親戚で拾う行事のようなものがあります。

うわぁ、なんだか怖いですね。土葬が一般的な国の人で特に子供たちにはそう感じるだろう。そこである質問を投げかけてみる。「ウズベキスタンでは人が亡くなったときお葬式はどのようにしますか?」するとまた興味深い話を聞くことができた。

 

ーウズベキスタンでは人が死んだらその日だけでお葬式をしますよ。そして死体を埋めるときには男の人だけが行きます、女の人は行ってはいけません。男の人たちで穴を掘って埋めます。そのあと家族は40日間遠くへ行ってはいけません。家のなかにいます。

 

仏教でも四十九日という行事や一周忌、三回忌などの慣習がある。

イスラム教でも同じように様々なルールがあるようだが、この話は初耳だった。

ウズベキスタンは奥の深い風習がやはりまだまだありそうだ。